風景画家などと言いながら、最近はちょっと風景画はお休み。
ということで久々に飛行機でも描いてみようかな。
2013年は何故か大変な「零戦」ブームでしたね。
アニメや映画で題材に取り上げられたのが大きいと思いますが、私的にはやっぱり実機を見られたのが大きかった。
昨年は8月まで所沢の航空発祥記念館に、アメリカのプレーンズ・オブ・フェイムが所有する零戦52型が来ていました。
この機体はグアムに遺棄されていた飛行可能な機体でした。
それをアメリカが持ち帰り、現在に至るまで唯一オリジナルの中島・栄21型エンジンで飛行可能な機体として維持されています。
戦後2回ほど里帰りしていますが、最も最近では1995年に龍ケ崎飛行場でP51Dマスタングと飛行展示を行いましたね。
この時は私も見に行き、オリジナル零戦のエンジン音と迫力のフライトに魅せられました。
その時は比較的距離があっての観察ですが、所沢はほぼ手の触れられる距離。
この時とばかり多数の写真を撮影しました。
その時の記事はこちら。
で、今回はこの時の写真と記憶を頼りに久々に零戦を描いてみようかと。
最初はこの機体をモデルに大戦中のシチュエーションで仕上げようと思っていたんですけどね。
きれいに磨き上げられた機体と、生産から70年以上も経っているのに、そして10,000機以上の兄弟もいたのに、ただ1機でひっそりと健気に佇んでいるその姿を見ていると、やはり今の姿のまま描こうかという気持ちに。
プラスチックモデルの世界では、パネルラインやリベットを強調してウェザリング(汚し)を施して「リアル」を追求しますが、実機を観察するとパネルラインやリベットはほとんど目立ちません。
非常に滑らかに見えますね。
そのかわりジュラルミンの機体表面はわりとデコボコがあり、かなりベコベコした印象もあります。
実際に70年前はどうだったんでしょうね。
当時のモノクロ写真を見ると、やはりそれほどパネルラインは見えません。
大戦末期は工作精度の低下もあるんでしょうか。わりとベコついた印象もあります。
そのかわり当時の整備員の話では「ウェスでピカピカに磨き上げる」というような話も出てきます。
当時も今の航空自衛隊と同じで、搭乗員は固有の機体を持つことは少なかったようですが、整備員は必ず自分の担当機を持っていました。
愛情込めて仕上げていたかもしれません。
ということで・・・。
「Everlasting Zero」

サイズ A3(29.7cm×42cm)
制作日 2014年2月
支持体 KMKケント紙
画 材 カリスマカラー/三菱ペリシア
(^ー^)ノシ
ありがとうございます!残念ながらおそらく今後はあまりフライトの機会はないかもしれませんね。
そのかわりロシアのリバースエンジニアリングで制作された22型などは来日して飛行するかもしれません。
零戦ブームでお陰さまでプラモの売り上げが少しだけ上がったようです。
関係ないですが某グループのおかげでタミヤのTシャツがバカ売れしまいした。
零戦のプラモデルはすごいですよね。雑誌に添付されたり、また模型誌でも特集されたりして大分売れたんじゃないかなと思います。
タミヤのマークはもうブランドですね。