私にとってはあらゆる意味でお世話になった大型外資系CDショップのヴァージンメガストア。
2009年1月25日で日本における展開を終了。その歴史に幕を下ろします。
1990年。丸井新宿店の地下一階に300坪を超えるスペースで出現したヴァージンメガストア。
それまで大型のCDショップがなかった日本では衝撃的な出来事でした。
当時、その商品供給を私の所属していた会社が行うことになり、最初の接点が生じました。
部署的には直接関係はなかったものの、JAZZのCDをよく漁りに行ったものです。
その後、私がデザインの仕事を始め、CDショップの販促物を多く手がけるようになりました。
外資系CDショップの洗練された店内。
そこに掲示される店内販促物を手がけることは、当時駆け出しだった自分にとっては夢でした。
何年かの地道な活動の後、ようやくきっかけを掴みヴァージンメガストアに掲示された最初の私が制作した一枚。
感慨を持って見上げたことを覚えています。
その後、徐々にお引き立ていただき、一時は自分の部署における業務割合の7割を占めるまでになっていきました。
デザイン作業の組織化・効率化。
印刷・後加工業者の選定・取引。
写真データのスキャンニング・加工技術。
アーティスト写真をはじめとする各種著作物&肖像権の取り扱い。
スケジュール管理・短納期への対応。
見積制作・値引き交渉への対応。
売上・経費管理。
etc.
現在のデザイン部署を運営するために必須の各種業務の基礎を確立できたのは、ヴァージンメガストアとの取引過程においてなされたと言っても過言ではないでしょう。
その後、CD音楽業界は1998年のピークを境に徐々に下降していきます。
ヴァージンメガストアも英国ヴァージンと丸井の合弁会社から、丸井100%出資の子会社に。
取引形態も、私が所属する会社の親会社であるような卸商社から商品供給されるのではなく、メーカーから直接仕入れる形態へと変化。
その課程でいつしか私の部署との取引量は減少していきました。
やがて、2005年、ヴァージンメガストアは丸井を離れ、TSUTAYAを展開するカルチャー・コンビニエンス・クラブ傘下へ。
この時点で 私の部署とはほぼ100%、取引がなくなりました。
その後、私用でヴァージンメガストアの店舗を訪れ、店内の販促物を見る度。
「自分ならこうするのになぁ」と思いながら、
若干の寂しさを覚えつつも、徐々に変化していく店内イメージを 観察していました。
2009年1月を持って、ヴァージンメガストアの商標権継続を停止。
日本から完全にヴァージンメガストアの名前が消えます。
現在存在する店舗は全て「TSUTAYA」に。
今、思い返すと、お取引いただいていた期間は5〜6年ほどだったような気がします。
極端に忙しく、そしてあっという間の期間でした。
でも、その期間が現在の私たちを作り上げたとも言えます。
あらためて・・・。
ありがとうございました。
そして、大変お世話になりました。当時の関係各位に心から感謝いたします。
行くとすれば大体渋谷のHMVかタワレコでしたし、最近はアマゾンとかでCDを買うことも多くなりました。
アメリカではすでに金額ベースでCDよりも配信の方が大きなマーケットになってしまいました。日本でもその傾向は強まるでしょう。
TUTAYAさんはその中でも地方での展開も含めて相当ガンバッている方だと思います。
BattieのCD、本人の勢いで1000枚作りましたが、500枚にしておけばよかったと後悔してます( ̄▽ ̄;)
最近はBOOK OFFとかの中古CDを漁ることが多いですね。(^^;
でもチョット寂しいですね。
(^ー^)ノシ
>Tad先生。
意外にヴァージン知らない方も多いようです。出店政策の誤りもあるのかもしれません。
>moonrabbitさん。
BOOK OFFのCD、馬鹿にできないようですね。商品知識度外視で仕入れますので、お宝があり得ない値段で出ていることも・・・。
>にんじゃさん。
池袋というと丸井地下にあったころでしょうか。オープン当初が懐かしい・・・。
>モッズパンツさん。
そうなんです。目の前にあるお仕事、縁あっていただいたお仕事は丁寧に大切にこなしていきたいです。
タワーレコードとかとは違う、ちょっとお洒落な感じで、
かつ都会に出ないとないお店だったし、「憧れ」までは大袈裟だけど
通ってたら格好いいなぁという存在でした。
お店の経営にはそんな裏があったんですね。
勉強になりました。
そうなんですよね。アメリカ系のタワーとはテイスト違うコンセプトでした。
現状はタワーレコードもHMVも決して楽な状況ではないんです。
パッケージソフトが売れません・・・。